2009/12/24

素晴らしき哉、人生! 1946年




クリスマスの日はやはりこの映画ですね。『It's a wonderful life!』
フランク・キャプラ監督の名作のラストシーンです。
不運な主人公ジョージ(ジェームス・スチュアート)はどん底に落ち入り自殺を図るのですが其処へ修行中の二人の天使が現れる。。。この映画を見るといつも心弾む嬉しい気持ちにさせてくれます。ブルーな気分の時も元気をくれます。
スチュアートは大好きな俳優、後にヒッチコックの数々の作品の中での演技は忘れられないです。妻メアリーの役を演じたドナ・リードはその後、そんなに多くの映画に出演しなかったのですが、この映画では知的美しさが輝いて印象深いです。
もう何回も見たけど、映画館で見た事があったかどうか確かじゃありません。いつかまた映画館で見たいです。



2009/12/18

ティファニーで朝食を 1961年



しがない小説家ポールが語る、隣のアパートに住むホリー(ヘップバーン)の自由奔放に生きる姿を描いた映画。トルーマン・カポティーの同名原作で、世界中にティファニーの名を広めた作品です。有名な劇中曲『Moon River』の作曲は映画音楽の巨匠ヘンリー・マンシーニ。後に世界的なスタンダードになります。フランク・シナトラやアンディー・ウィリアムスが歌い世界的大ヒットします。


最近ではエルトン・ジョンが渋くて味のあるカヴァーをしてますね。


でもヘップバーン自身が映画の中でうたう『Moon river』はシンプルで憂いがあって僕は一番好きです。マンシーニは彼女をイメージして作曲したそうですから彼女に似合うのは当然かもしれませんね。。。





2009/12/15

市民ケーン(1941年)

大きな城館の一部屋で一人の男の手から『スノーグローブ』が床に転がり落ちる。
男は『バラの蕾(Rosebud)』と一言つぶやいて息をひきとる。。。
映画史上最も重要な作品のひとつと言われている、オーソン・ウェルズ監督の『市民ケーン』のトップシーンです。

2009/12/11

めぐりあう時間たち(2002年)

『リトル・ダンサー(Billy Eliott)』で有名になったS・ダルドリーの監督で、マイケル・カニンガムの同名原作による作品。
違う時代と空間に生きた三人の女性たちそれぞれの,或る一日の話。
このかけ離れた三つの時代をつなげるのは、一冊の小説『ダロウェー夫人』。

現代のニューヨークに生きる出版者クラリッサは「ダロウェー夫人」のあだ名で呼ばれる。彼女はエイズの病に苦しむ親友リチャードのためにパーティーを開く事を決めその準備のために奔走する一日。

ローラは1950年代のロサンジェルスに住む。息子と一緒に夫の誕生日のための準備をするのだけど家庭の主婦という人生に満足できず、なんとかそこから脱け出したく思っている。息子リッチは母を溺愛してるが、母の鬱の病を知っている。彼女の愛読書は『ダロウェー夫人』。

そして1923年、ヴァージニアは「静養のため」と夫レナード・ウルフに勧められロンドン郊外のリッチモンドの一軒家に引っ越し、『ダロウェー夫人』の執筆に取りかかろうとしている。
「私が花を買ってくるわ」で始まるヴァージニア・ウルフの名作を通して、三つの違った時間がこの映画のなかで巡り合うという、まさしく映画ならではの世界です。
いくつもの違った話がそれぞれ並行して進む形は、80年代からハリウッド映画やテレビドラマによく使われる手法でもあって、沢山の話を交錯させればリモコン片手に見る視聴者の「ザッピング」を防ぐ効果でもあるけど、世界中のドラマやベストセラーが同じようなフォーマリズムに中にはまりこんで行く兆しもあります。そんな中でこの作品はその手法が上手く生かされて、その三人の人生の巡り合いこそがテーマという事で主題と形がぴったりと言う感じがしました。
この三人の女性を演じるのは、メリル・ストリープとジュリアン・ムーアとニコル・キッドマンという大女優たち。ベルリン映画祭ではこの三人が揃って主演女優賞(銀熊賞)を受賞したのは大変話題になった。生きる女性の讃歌ともいえるこの作品にはこの賞は凄く妥当だと思った。アメリカのアカデミー主演女優賞ではニコル・キッドマンが受賞、着け鼻をつけてヴァージニア・ウルフを演じた演技を讃えてということだけど、M・ストリープもJ・ムーアも本当に勝るとも劣らない演技だったのは皆が認めるところでした。でもトム・クルーズと別れたあとスターになりつつあったニコル・キッドマンに賞を渡す事で『大スター』を必要とする映画産業が選んだと言われた。ベルリンの銀熊賞はそれへの抗議とも言えるでしょうね。。。少なくとも発表されたときは皆そう受け取った。
確かに映画が終わったあと「ニコル・キッドマンは何処に出てたっけ。。。」と思わせる程、彼女の変身ぶりと演技は目を見張るものがあった。(僕も最後まで彼女だと気がつきませんでした。)あれは「メイク」の仕事が素晴らしいからだと言う専門家達もいた。うん確かに。。。
これで一躍大スターになったキッドマンはそのあと「最も高額の女優」で有名になったけれども、運命の皮肉なのか以後まったくいい作品に恵まれないのはおそらく偶然ではないでしょう。。。

2009/12/10

第三の男 (1949年)

第二次大戦の終戦直後のウィーンを舞台にしたキャロル・リード監督のサスペンス映画ですが、よくある「歴史に残る名画」といったアンケートには必ず入る作品ですね。主役を演ずるのはジョゼフ・コッテン、そして「第三の男」はオルソン・ウェルズです。そしてイタリアの名女優アリダ・ヴァリがハリウッド映画の出演した数少ない作品の一つです



小説家ホリーは、親友(ハリー)に呼ばれ、アメリカからウィーンにやって来たがハリーは事故死したと伝えられ、しかも彼は違法の闇取り引きをしていた犯罪者だったという。信じられないホリーはその真実を探ろうとする。。。
コントラストのある白黒の画面が綺麗で、斜めのカメラアングルもその当時の映画ではかなり斬新です。「第三の男」が現れるシーンや地下の下水道でのラストシーンは印象に残る名場面です。



そして何といっても忘れられないのは、弦楽器「ツイター」によるアントン・カラスの音楽です。昔、子供の頃みたテレビCMでオルソン・ウェルズがウィスキーを飲むシーンがあったけど、そのバックにこのメロディーが流れていました。それを見た父がにっこり笑いながら、あれは『第三の男』の音楽だよと教えてくれた。それから大人になり、この映画を見るまでにはかなり時間が経ってましたが、この時の父の言葉を思い出しました。



(捜したら出てきました!びっくりです。)

2009/11/24

Ma plus belle histoire d'amour









Du plus loin, que me revienne,
L'ombre de mes amours anciennes,
Du plus loin, du premier rendez-vous,
Du temps des premières peines,
Lors, j'avais quinze ans, à peine,
Cœur tout blanc, et griffes aux genoux,
Que ce furent, j'étais précoce,
De tendres amours de gosse,
Ou les morsures d'un amour fou,
Du plus loin qu'il m'en souvienne,
Si depuis, j'ai dit "je t'aime",
Ma plus belle histoire d'amour, c'est vous,

C'est vrai, je ne fus pas sage,
Et j'ai tourné bien des pages,
Sans les lire, blanches, et puis rien dessus,
C'est vrai, je ne fus pas sage,
Et mes guerriers de passage,
A peine vus, déjà disparus,
Mais à travers leur visage,
C'était déjà votre image,
C'était vous déjà et le cœur nu,
Je refaisais mes bagages,
Et poursuivais mon mirage,
Ma plus belle histoire d'amour, c'est vous,

Sur la longue route,
Qui menait vers vous,
Sur la longue route,
J'allais le cœur fou,
Le vent de décembre,
Me gelait au cou,
Qu'importait décembre,
Si c'était pour vous,
Elle fut longue la route,
Mais je l'ai faite, la route,
Celle-là, qui menait jusqu'à vous,
Et je ne suis pas parjure,
Si ce soir, je vous jure,
Que, pour vous, je l'eus faite à genoux,
Il en eut fallu bien d'autres,
Que quelques mauvais apôtres,
Que l'hiver ou la neige à mon cou,
Pour que je perde patience,
Et j'ai calmé ma violence,
Ma plus belle histoire d'amour, c'est vous,

Les temps d'hiver et d'automne,
De nuit, de jour, et personne,
Vous n'étiez jamais au rendez-vous,
Et de vous, perdant courage,
Soudain, me prenait la rage,
Mon Dieu, que j'avais besoin de vous,
Que le Diable vous emporte,
D'autres m'ont ouvert leur porte,
Heureuse, je m'en allais loin de vous,
Oui, je vous fus infidèle,
Mais vous revenais quand même,
Ma plus belle histoire d'amour, c'est vous,

J'ai pleuré mes larmes,
Mais qu'il me fut doux,
Oh, qu'il me fut doux,
Ce premier sourire de vous,
Et pour une larme,
Qui venait de vous,
J'ai pleuré d'amour,
Vous souvenez-vous ?

Ce fut, un soir, en septembre,
Vous étiez venus m'attendre,
Ici même, vous en souvenez-vous ?
A vous regarder sourire,
A vous aimer, sans rien dire,
C'est là que j'ai compris, tout à coup,
J'avais fini mon voyage,
Et j'ai posé mes bagages,
Vous étiez venus au rendez-vous,
Qu'importe ce qu'on peut en dire,
Je tenais à vous le dire,
Ce soir je vous remercie de vous,
Qu'importe ce qu'on peut en dire,
Je suis venue pour vous dire,
Ma plus belle histoire d'amour, c'est vous...
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このコンサートは晩年のものです。彼女は1981年にパリの北にあるパンタンの競馬場で歴史的コンサートをするのですが、毎晩観衆のアンコールに答えて、終わるのは夜中の12時過ぎ。そして彼女はそのコンサートで喉を壊してしまいました。以後彼女の歌い方も深さを追求する形をとっています。ここでの歌い方も、60年代のあの「透き通るような声」とはまた違い、感慨深いものがありますね。  

2009/11/07

マイノリティーの声



ちょうど10年前、1999年のヴェネチア・ビエンナーレの総合コミッショナーはスイス人キュレーターのH・ゼーマン氏だった。彼はまだ無名な作家を沢山集めて、その頃現代美術市場の単なるプロモーション的立場になってしまっていた『ビエンナーレ』を一掃してしまった。そしてこの時は20人近い中国人アーチストが選ばれて話題を呼び、その殆どが国際的舞台では名を知られていない人たちばかりでした。



その中でツァイ・グオチャン(蔡国强 Cai Guo-Qiang)は金獅子賞を獲得した。以来彼は国際的舞台では第一線にいる作家の一人です。(『金獅子賞』もかなり国家が動いたような感もないではないけど。)そして先の北京オリンピックの開会式のヴィジュアル・ディレクターを務めた。



彼の国家的援護を受ける立場でのアートを遠からず批判するのは同じく現在では国際的作家であるアイ・ウェイウェイ(艾未未 Ai Weiwei)だが、この時のビエンナーレで発表された「月蝕」の写真を使った詩的なインスタレーションも新鮮だった。後に彼はスイスの建築家ヘルツォーク&ド・ムーロンと協力し北京オリピックスタジアムの鳥の巣をデザインしている。
いづれにしろ現代の美術市場というものは超資本主義の世界。ゼーマン氏のようなキュレーターが市場を一新したとしても美術界は所詮、世界の金の動きに反映するしかない。。。 無名だった作家たちの作品もほんの数年でオークションに出るようになってしまう。



先の二人のように華やかな活躍ではないが、もっとも僕が感動したもののひとつは上海出身のアーチスト、シェン・ゼン(陳箴 Chen Zhen)の作品だった。彼のインスタレーションは革を張った巨大な椅子の形をした太鼓。観客は自由に革を叩くことができた。ミュージシャンたちによるパーフォーマンスもあった、中でもチベットの坊さんたちによる演奏は凄かった。オリンピック開催も北京に決まり、これから世界の注目になりつつあった中国の影にあるチベット民族の声を響かせたのである。彼は翌年2000年に不治の病 で45歳の若さで他界するが、彼の作品が残したものは大きいと思う。

この時のビエンナーレでは中国人作家以外にも無名の作家の作品が沢山あった。中でもイラン女性アーチスト、シリン・ネシャット Shirin Neshatの作品は印象的だった。題名は『TURBULENT』で「渦巻き」とでも訳せるのか。二枚の画面が向かい合うインスタレーション。一つは男性ヴォーカルが歌う画面で、向かうは黒いヴェールを被った女性ヴォーカルでカメラがぐるぐる彼女の廻りをまわる。そのヴォイス・パフォーマンスには鳥肌が立ったのを憶えている。美しいと思いこんでる男たちの歌声が急に平凡で保守的に見えてくる。。。ヴェールを被らせられたイスラム女性のパワーだ。。。







2009/10/30

ランジング・ブル (1980年)







マーティン・スコセッシ監督の作品ですが。その数年前に彼の作品『タクシードライバー』を見たときもにも感激したので、封切りされたこの作品に期待して見に行ったんですが、その迫力に圧倒されてしまったのを憶えてます。まさしくKOでした。『怒る牡牛』と呼ばれた伝説のボクサー、ジェイク・ラモッタの人生を描いたものです。フランスの国民的英雄であるマルセル・セルダンを激闘の上で倒し、世界チャンピオンの座を勝ち得ました。この映画ではロバート・デ・ニーロがアカデミー主演男優賞をとりました。超演技派で完璧な役作りをする事で知られる彼は『タクシードライバー』の準備のため3週間実際にタクシーの運転手をし、この映画では老いたチャンピオンボクサーを演ずるためにイタリア、フランスに滞在してレストランで食べ歩きが30キロ太ったのは有名な話で、最後に出てくるラモッタを演ずるデ・ニーロの姿は迫力があった。ラモッタ以外の誰でもないとしか言えません。。。ホントに。
オープニングのシーンも大好きでした。今見てもとても新鮮です。 




2009/09/28

サヴォア邸 1931年


緑の芝生の上に細い柱(ピロティ)がちょんと建っていて、まるでUFOが空から舞い降りたのようです。
ル・コルビジェ(1887−1965)が1928年に設計し、1931年に竣工した建物。『サヴォア邸』とよばれています。
パリ郊外、西へ車で40分位行ったところにある、ポワシーという町にあります。1927年に『近代建築の5原則』を掲げた彼はそれを実際にこの作品に反映させたものです。このピロティで持ち上げられた床のおかげで地上階は車庫にあてられ上の階の生活空間の構成が自由になり、そして横長の大胆な連続窓をファッサードに開けることが可能になる。
屋上テラスには草木が植えられ、ソラリヨムという日光浴の場所もあります。これほどの自由な空間を可能にする近代建築のマニフェストとも言える作品です。

テラスに面した大きな窓は、開閉できて、可動式のガラスの壁といえるくらい当時としてはとても大胆ですね。

ゆるいスロープでアクセスできる2階。
階段の上からは美しい光が降り注いでいる。。。

バスルームは長椅子の形をした壁で仕切られてます。
80年前のキッチン、今でも通用しますね。    

2009/09/15

サン・ゼノ教会 (12世紀初頭)




サン・ゼノ教会はヴェローナで最も有名な教会です。12世紀初めに建てられたもので、四世紀にヴェローナの司祭だった聖ゼノに捧げられています。中に入ると、この頃の教会にしては壮大なプロポーションに驚かされます。その高さはゴシック建築並みで、中にはジオット派の壁画がで飾られていた後が残っており、また修道院も昔のままの形で保存されています。


そして最高の見所は正門のブロンズのレリーフの大扉です。新・旧訳聖書の物語が漫画のように一コマずつ描かれていて、左右合わせると見事なファッサードになります。



聖ゼノの逸話も入ってます。とても貧しい生活をしていて、魚を釣って食をとっていた彼はいつも釣りをしている姿で描かれています。

それがいつの日からか釣り人の守護聖人になってるそうです。このレリーフが好きです、水の波の下に魚が泳いでます!
そして、ここにはもう一つ重要な作品があります。ルネッサンスの画家マンテーニャの祭壇画です。
但し現在も修復中で、原寸大の複製写真が壁に飾られていました。以前に来た時も見られずじまいでした。

スカルパ / カステルヴェッキオ美術館



ヴェローナの「古いお城」にある美術館。改修設計をしたのは、カルロ・スカルパ。彼の作品でも最も代表的なものです。古い中世の建物と現代建築の融合が見事です。

古いレンガの壁とコンクリートの調和。鍛鉄の格子戸も重厚なマチエールと軽快なプロポーションの対比が彼独特だ。
格子戸は日本建築からインスピレーションを受けているけど、完全に彼の中で消化され独自の美を生み出している。
美しい打ちっぱなしコンクリートを見ると、安藤忠雄氏の作品を思い浮かべずにはいられない。

今年6月ヴェニスにオープンしたピノー財団の現代美術コレクションは古い建物を改修したもので、安藤氏が設計したものだが、この半世紀前のスカルパの仕事と比べると、その繊細さに関しては雲泥の差がある。

ピノー財団は駆け足で作られたものだが、カステルヴェッキオは10年近くをかけて作られている。
勿論「予算の関係」もあるのだろうが、ピノー氏は世界でも指折りの富豪家でまがりにも「アート」を扱う「文化人」だと思うと不思議に思う。。。スカルパの時代は「建築」というものが別の次元にあった時代だったのだろう。
ヴェニスのピノー財団の窓には格子戸があり、安藤氏のスカルパへのオマージュだとはすぐ解るけど、近づいてみると作りは薄っぺらでディティールもなく、そのギャップに驚いてしまう。建築雑誌の写真には綺麗に収まっているけれど。。。優秀な鍛鉄職人はヨーロッパにはまだまだいるのだから、捜せば見つかりそうなものだけど、今日では、建築家にはそういう時間も与えられないのだろう。。。
そう思うとスカルパのこの仕事がとても貴重な物に思えてくる。

もう誰もこのような仕事にお金と時間を費やす人はいないのかもしれない。

2009/09/10

『ミレニアム・マンボ』(千禧曼波)2001年





台湾映画、ニューウェーヴの旗手、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督の作品。一人の女性が一人の男から別の男へ揺れ動く瞬間を、ミュージック・ビデオをかなり意識したカメラワークを駆使し、新鮮なタッチで描いている。一世風靡していたライバル香港映画も意識してたのだろう。。。


恋人が撮影してるとしか思えないくらい、主人公を演じるスー・チー(舒淇)が美しい。この映画ではじめて知った女優だったけど、上映中その美しさに開いた口が塞がらないほど、虜になっていました。






そして忘れられないラストシーン。雪の北海道、夕張の町の中にあるキネマ街道が舞台。スー・チーが役を演じてるのか、それとも彼女自身を演じてるのか、見ていてちょっと戸惑ってしまう。「映画へのオマージュ」の映画だ。


2009/09/08

ラ・ジュテ(La jetée) 1962年



パリのオルリー空港の展望台で、子供の頃に見たある出来事の残像にとらわれた男の話。「記憶と時」をさまようクリス・マルケルのSF映画。白黒写真を編集した短編映画です。『サン・ソレイユ』と同様、映画史上重要な位置にあり、世界中にファンがいるカルト的存在の作品です。イギリスの鬼才ピーター・グリーナウェイ監督はこの作品をみて映画を始める事を決心したそうです。



スチール写真だけを編集して『語り』だけで、ストーリーを展開して行くのですが。その緻密な編集と繊細な音響効果は、観る人をどんどん話の中に引き込んで行きます。見終わると長編映画を見た錯覚に陥ります。やはり映画で重要なのはカットの数によるのだと思います。ただ多ければいいわけでもなく、大事なのはカットの編集のリズムなんだと思い知らされる作品です。たった26分で長編並みの編集がされています。



アメリカ映画の『12モンキー』はこの作品をリメイクしたもので、大スターが二人も出演。ブルース・ウィリス主演、そしてブラット・ピットの素晴らしい演技でアカデミーの助演男優賞にノミネートされるほどで、見応えのある作品ですが、ストーリーの『エッセンス』というか、緊張感は断然にこの原作のほうがありますね。『12モンキー』の監督はあのテリー・ギリアムだけど、これは自分の作品というよりも、シナリオ通りに撮った、プロデューサーからの注文作品のような感はまぬがれない。実際、彼は封切り当時のインタビューではマルケルの原作であるこの「作品を見た事がなかった。」というちょいと信じられない発言をしていた。いかに有名な監督と大スターを二人を導引した大作でもっても、マルケルのほんの数人で製作した小品の宝石のような輝きは真似できなかったですね。

マルケルは、あの頃友人が持っていた、人気のあった一眼レフカメラ『ペンタックス』を借りて写真を撮ったといっている。その製作プロセスの簡単さが作品のシャープさの秘密なのかもしれない。

マルケルのこの作品に少なからずも影響をうけている映画は数多いです。
『世界の果てまで』(ヴェンダース監督)のなかで目の見えない母に映像を脳の中で再現するシーンや、近年では『マトリックス』でも、完全に40年前のこの映画の世界観にインスピレーションを求めています。  

ぼ〜うえんだよ。



「ぼんだよ。いどだよ。」

懐かしい〜コマーシャル。
ペンタプリズムを取り入れた世界初の一眼レフカメラのコマーシャル。
カメラも画期的であれば、CMも画期的です!

2009/09/03

惑星ソラリス 1972年


タルコフスキーのソビエト時代のSF映画の一シーン。首都高速は未来の都市をイメージしたものだった。哲学的SF作品ではキューブリックの『2001年、宇宙の旅』と並ぶ重要な作品だが、その難解さから1977年に日本で公開され、友人である黒沢明が一生懸命に日本に紹介したけれど、全くの理解されず酷評だった。

2009/09/02

秋刀魚の味 1962年







小津安二郎の遺作となったこの作品は、「東京物語」とならんで彼の最もポピュラーな作品です。映画には「秋刀魚」という言葉が一度も出てくる訳でもなく、また「さんま」を食べる場面がある訳でもない。何故「さんま」なのか?
フランスでは「LE GOUT DE SAKE=酒の味」という具合に訳されてます。確かにお酒を飲んでるシーンが沢山あり、こう訳されてもしょうがないと思うけど。

「さんま」は俳句でいう所の「季語」で、季節は秋。食べごろは当然油の乗った秋が一番美味しい時期。つまり秋には、秋の季節を味わなければならない。妻に先立たれ、「人生の秋」にたつ主人公平山周平(笠智衆)は、娘路子(岩下志麻)を手放すという決断をしなければならない。高校の漢文の先生だった佐久間(東野英治郎)は、細々とラーメン屋を営んでいるが、妻に早死にされて、ついつい娘伴子(杉村春子)を嫁に出す時期を失ってしまっていた。それを見て平山は娘が早く結婚するようにと決心する。先生のラーメン屋の名前は「燕来軒」。つばめを待つ家は「春」を待つ「冬」であるが、娘を嫁に出しそこねた彼には春はやってこない。。。 平山の一番下の息子和夫は、ほんのりと恋をし始めた「春」。長男幸一夫婦はまだ喧嘩も耐えない「夏」。そんな人生を俳句の四季に喩えて語られてる美しい作品だと思います。日本人独特の人生感でしょう。当時ヨーロッパではまったく理解されなかったのも当然かもしれませんね。


そしてこの作品が小津監督の最後のメッセージだと思うとやはり感慨深く見てしまう作品です。 ☞




猿の惑星 1968年




子供の時に見たこの映画の内容は殆ど忘れてしまったけれど、チャールトン・ヘストンが泣き叫ぶラストシーンは強烈で今でも憶えています。 ☞

誰がために鐘は鳴る 1943年





ヘミングウェイの同名の小説を原作とするサム・ウッド監督の作品。これもまた『カサブランカ』についでヨーロッパでの戦場を舞台にしている。ラブ・ロマンス『カサブランカ』で一躍有名になったイングリッド・バーグマンが、今度は一転してスペイン戦争真っ只中、レジスタンスの役で出演。彼女のショートカットの髪型が話題を呼んだ。長身のバーグマンは『カサブランカ』では背の高くないボガートのカメラワークは大変だったようですが、ここではゲーリー・クーパーは身長191cm、彼女が小さくか弱にみえますね。 ☞


カサブランカ 1942年




封切りと同時に世界的に大ヒットしたマイケル・カーティス監督の作品。既に「ハード・ボイルド」で有名だったハンフリー・ボガートと新人イングリッド・バーグマンの共演。ラストシーンで『VICHY=ヴィッシー』のミネラルウォターの瓶を捨てる意味も含め、ナチス党と『コラボ』したフランスの『ヴィッシー政府』という複雑な当時の政治的背景を前提にした緻密な脚本は当時珍しかった。結果的に第二次大戦で米軍のヨーロッパ進出の準備であったともいわれる程、この作品のインパクトは凄かったらしい。
挿入歌の『As time goes by』も世界的ヒットとなり後にジャズスタンダードになりました。




この映画はクランク・インした時はまだシナリオが出来ておらず、アメリカ映画の製作プロセスでは非常に珍しく、そのためイングリット・バーグマンは最後までどちらの男を好きになればいいのか解らなかったらしい、その曖昧な表情がこの映画にまた奥行きを与えているのだと思う。
彼女はこの映画で突然大スターになった記念的作品です。彼女の知的美しさに皆が魅了されました。ヘミングウェイは彼の原作著『誰がために鐘は鳴る』の映画化の際に主人公に彼女を希望したと言われています。 ☞

東京物語 1953年







小津安二郎監督の最も有名な作品。そして最も完成度の高い作品でしょう。世界中の映画関係者によるアンケートでいつも「映画史上に最も重要な映画ベスト10」に必ず入っている。当時フランスでも上映されたそうだけど、全く無視されたようで、あのフランソワ・トリュフォーさえも「退屈な作品」だと批判している。。。
そして四半世紀たった1978年に再びヨーロッパで上映された時、初めてその正しい評価を得て、そして立て続けに小津監督の他の作品も上映されるようになりました。






最初と最後に出てくる尾道の街並とその中を突き抜ける蒸気機関車がこの作品のシンボルのようだ。線路脇にある洗濯物が印象的だった。小津独特の低いカメラアングルも、そして50ミリの標準レンズのみを使い、撮影に対するの徹底ぶりと真剣さがひしひしと伝わってくる。


老け役を演ずる笠智衆、この時彼はまだ40代後半。素晴らしい演技だ。子供の頃に父に、「この俳優一本調子で変なしゃべり方するね」といったら、父が「その一本調子で演技ができるのだから、実に上手いと思わないか。」と言われ僕は「ふ~ん。。。」って返事してだけど、今になってやっと彼の役者としての偉大さがわかりました。






そして山村聰やカリスマ的大女優の杉村春子の名演技も素晴らしい。おばあさん役の東山千栄子も偉大な舞台女優で、数少ない映画出演ではこの作品が最も有名です。
そしてやはり原節子が素晴らしい。「スター」とはこういう人の事を言うのだろう。。。彼女が仕事を一日休みをとって老夫婦と一緒にはとバスにのって東京見物するのだけど、バスの中で揺れる後ろ姿が微笑ましく僕にとっては忘れられない名場面です。

彼女は小津安二郎の死後、映画界を去り、以後まったくもって公共の場に現れていない。スエーデンの大女優グレータ・ガルボも同じように隠遁生活を送った。プライベートを守り続けると同時に、映画の持つ「夢」を我々に与え続けている。。。  ☞


2009/09/01

モナ・ハトゥン展(ヴェニス) 2009年




今回のヴェネチア・ビエンナーレに関連した展覧会で最もよかったものの一つはクリニア・スタンパリ財団でのモナ・ハトゥン展でした。
モナ・ハトゥンは1952年にベイルート生まれの女性作家です。政治的理由から故郷パレスチナを離れてカナダのバンクーバーに移り、後にロンドンに拠点を構え現在にいたっています。

パリ、テキサス (1984年)





カンヌ映画祭でグランプリを獲得した作品で、ヴェンダース監督が一躍有名になった映画です。シナリオはアメリカの劇作家サム・シェパード。音楽はライ・クーダー、映画は知らなくてもこの音楽を耳にした人はいると思う。
記憶を失った一人の男トラヴィスがテキサスの砂漠をさまよい歩くところから始まります。砂漠にある店で気を失い倒れ、弟ウォルトが迎えにくるが一言も口をきかない状態。
そして、やっと初めて口にした言葉が「パリ」。弟の家で実の息子ハンターに再会するも、彼との距離はなかなかちぢまらない。でも二人は結局、トラヴィスの消えた妻ジェーンを捜しに一緒に旅にでる。彼女は義弟に毎月同じ場所から送金していた。

しかしそこに、見つけたのは「覗き部屋」で働くジェーンの姿。。。
ジェーン役のナターシャ・キンスキーが最も綺麗に撮られている映画だと思う。彼女が13歳の時に最初にに女優として映画に使ったのは、このヴェンダース監督だった。

そして最後にハンターが母ジェーンに再会するのを見届けて去って行くトラヴィス。とうとう最後まで主人公の二人は顔を会わせる事がなかった。

ライ・クーダーのギターの奏でる音色と、画家エドワード・ホッパーの絵を思い出させる、ロビー・ミュラーの映像が最高に美しい作品です。『さすらい』で代表される白黒時代とはまたちがうスケールで見応えのある作品です。

「ねたばれ」しないように詳しく書きませんでしたが、是非ともおすすめの映画です! 

2009/08/28

Sans Soleil サン・ソレイユ 1983年



クリス・マルケル監督の作品で、映画史のなかでもとてもユニークなものといわれてます。「旅と記憶」をテーマをドキュメンタリ風に仕上げられていて、その舞台は日本とアフリカという組み合わせ。そして至るところにフィクションの要素も多分に含まれていて「想像と現実」を思考した映画ともいえます。

その中の一シーンで80年代のシンセサイザーを使ってフィルム映像をエレクトロニクスの映像に変換していくプロセスを見た時、学生だった僕は凄く感動し胸が高鳴ったを憶えています。しかもその操作をしたのは、彼の友人である日本人のビデオアーチスト「Hayao Yamaneko」氏、

その新しい映像空間を彼はタルコフスキーの大作『STALKER』の賞賛として「LA ZONE ラ・ゾーン」と呼んでいる。
ほんとに沢山のテーマが交錯し、ちょっとでは話し切れない程に内容豊かな作品です。そして見る度に新しいものを発見させてくれる映画です。

日本語版吹き替えは池田理代子さん。マルケル氏が日本でテレビに出ていた彼女の声を偶然聞いて感動し、人を使って彼女を捜しあてて、ナレーションを頼んだそうです。日本語を理解しないマルケル氏はいったい彼女の声に何を聴き取ったのだろうか。日本語版DVDが出たら是非観たいです。 


2009/08/27

椿三十郎 1962年



黒沢監督の映画で、とても好きな作品の一つです。三船敏郎が最も光っていた時代ですね。この映画コミカルなタッチで描かれていますが、その根底には奥深いものが描かれています。
字幕のすぐあとに続くトップシーンではわずか3カットで状況が把握され、観客は話の中にすでに入ってしまっています。その3番目のカットでは、格子戸から見える若侍たちが「ため息」をはいた瞬間から始まってます。その次のカットでは我々はもう彼らの議論の中です。映画の真髄だと思う。。。
そして三十郎が起きて来て言うに、見えない方が、よく見える。。。と既にここでこの作品のテーマが語られている。
そして話が進むに連れて、だんだんと士気はあがるけど、肝心の勝負は不発ばかり。。。結局、最終章で三十郎と室戸半兵衛(仲代達矢)の居合いでの一騎打ち。戦いの中に戦いがあったのだとあらためて認識させられる。そして軟禁されていた城代家老睦田弥兵衛、馬面の醜男を演ずるのは名優、伊藤 雄之助。ずうっと話の中には出てくるのだが実際に顔が見えるのはほんの最後だけで。その存在感のある演技は比類のものだ。まさしく、いなくして演技をしていたようだ。そしてついに三十郎と彼は対面することもないのだが、お互いの事をよくわかっている。最初の「見えないほうが、よく見える」の締めくくりのようなシーンだ。。。



数年前に、確か黒沢明没10周年記念の番組の中で、最後の居合いの勝負について仲代達矢がインタビューで語っていた。彼ら二人は、殺陣まわりを、一ヶ月以上それぞれ別々に練習させられていて、互いに相手の手の口をしらない状態で本番撮りになったそうです。彼はその時、胸元に血の袋をつけさせられたから、やはり自分が死ぬのだろうなとは想像してたらしいけど、でも相手もつけてるかもしれないと思ったらしい。そしてにらみ合う間、本当に怖かったと語っていた。そう睨み合いながらのやり取り、さしずめ今ならアップで互いの顔が交互に写るのが定番だろうけど、ここでは刀を抜くまでワンカット。このラストシーンのもの凄い緊張感は、そのためだったのかと初めて納得させられた。ホントに怖かったと思う。それにしても、やはり黒沢は恐ろしい監督だ。。。こんな娯楽映画の裏に『映画芸術』の真剣勝負が隠されいる作品ですね。



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一昨年だったか、この『椿三十郎』のリメイク版が発表されていた。。。角川映画らしいが、飛行機の中で観てみようと思ったのだが、やはりその映画としての、あまりもの稚拙さに呆れてしまい、5分とみれなかった。あとで調べてみたら「オリジナルのシナリオに忠実」だったらしいのだが、文字に書いてあることも重要だが、映画とはそんな次元じゃないと言いたくなってしまう。あのトップの3番目のカットのように。。。主役の織田裕二が大根だという人もいたらしいが、三船だって他の沢山の映画ではその大根ぶりを発揮している。凄い役者とはどれだけ監督の意思の高さに反応できるかどうかだと思う。織田裕二をこの映画の中の三船敏郎に比較するのは酷な話で、役者の善し悪しというよりも、あきらかにそれ以前の問題だろう。。。

2009/07/23

太陽はひとりぼっち(1962年)


ミケランジェロ・アントニオーニ監督の作品で『情事』そして『夜』とならぶ初期三部作の一つです。 原題は『L'Eclisse』で「日食」という意味。そこにどういう意味があるのか本当のところはわからないけど、観ると何故かこの題名が納得させられてしまう。ある女性の、言葉には表すことのできない闇の部分を垣間みる事ができるからだろうか。。。

しょっぱなから長い間連れ立った彼と別れる話からはじまる。モニカ・ヴィッティが演じるヴィットリアという女性が主人公。株のことしか頭にない彼女の母親とは話ができない。。。彼女は内面的豊かさを求める正反対の性格なのだが、ある日株市場で働くピエーロと出会うが、全く世界観が違う二人のちぐはぐな、愛とも恋ともいえない出会いを描く。。。ピエーロ役は、あのアラン・ドロン。目が覚める美しさで、世界中のファンを魅了したのも納得する。
「物質至上主義」の世界に納得できないヴィットリアの、何かを求めて都会の街をさまよい歩く姿を撮るカメラワークが見事だ。

闇夜の中、沢山ならぶ旗竿が、風のためロープがあたり楽器のように不思議な音を響かせ、その前にたたずむ彼女は限りなく美しい。。。
この映画はモニカ・ヴィッティが最も美しい作品かもしれない。