2009/06/30

ローマの休日 1954年

娯楽映画の名匠ウィリアム・ワイラー監督の作品。
これも、会う事ないはずの二人、王女と新聞記者の「たった一日の恋」の話。オードリー・ヘップバーンは映画初出演にもかかわらずアカデミー主演女優賞を受賞し劇的なデビューを果たした事で有名。子供の頃あのスクーターのシーンを見て、いつかあんな風に女の人をのせて走ってみたいと思ったものです。

昔はじめてヨーロッパに来た両親を連れてローマを訪ねた時、やはりローマと言えばこの映画のシーンが頭に残っていて、映画ファンの父はいろんな広場で「ああ、ここはあの場面の所だ。」って言って喜んでました。一番楽しそうだったのは『真実の口』で二人とも嬉しそうに手を入れてました。あのシーンはヘップバーンに内緒で監督とグレゴリー・ペックが示し合わせてやった演技だそうです。彼女のリハーサルなしの自然な演技は光ってますね。 


特別な一日 1977年

1938年5月8日。特別な一日。イタリアとドイツの協定のため  ヒットラーとムッソリーニがであった歴史的な日で、ローマの大人子供は全員大集会へ。ひとり家にのこった、ある「平凡な主婦」と、その裏窓の向かいのアパルトマンに住む「ある男」の話。男は同性愛者ということで警察から後を追われて、ひっそりと暮らしてる身。






そのトップ・シーンはヒッチ・コックの『裏窓』を思わせるカメラ・ワーク。視線は中庭からいつの間にか台所のコーヒーカップへとなめらかに動いて行きます。ソフィア・ローレンとアルチェロ・マストロアーニの夢のような共演、大集会の軍隊の音楽が聞こえてくる屋上のもの干し場での二人のキス・シーンが素晴らしかった。。。たった一日の恋。二人の時間の流れは、大集会とは違う次元をさまよってます。






エットーレ・スコラ監督は映像の色の彩度を極端に落とし、白黒に近い美しい映像に仕上げました。その中台所のガスの青い炎がはっきり見えたのが印象的でした。でもVHSビデオ出版した際に、一般受けするようにと、かなり彩度をあげて色をつけたらしいです。オリジナルどおり「色あせた世界」を見るにはやはり映画館で見るしかないですね。


2009/06/29

ブリオン家の墓


ヴェネト地方の街トレヴィーゾから遠くない村アルチヴォーレの公共墓地に隣り合わせて「ブリオン家」の墓があります。宿を出てから朝一番で行くと誰もいなく、静かでとても気持ちよかったです。。。


2009/06/27

ヴィラ・バルヴァロ



食物の宝庫といわれるヴェネト地方の小さな村マゼールにあるバルバロ邸はパラーディオの設計で、もと農家を貴族の館に改築したもの。持ち主は16世紀ヴェニスでの政治にも深く関わっていた貴族ダニエル・バルバロ。ヴィチェンツァの建築家だったパラディオをヴェニスにイントロデュースしたのは彼です。


中庭には巨人の噴水があり、正面にはぶどう畑がひろがっています。「農家の改築」という、建築的にみてもその斬新さに感心させられます。




でも沢山ある彼のヴィラの中でももっとも重要な一つと言われる理由は。ここの装飾壁画はヴェニスの画家ヴェロネーズ自身の手によるものだからです。





大抵のヴィラの壁画は大家の弟子クラスの作家が描くのが常套だけど、ここではその頃最も人気のあった巨匠が自ら描いてます。他のいろんな館とくらべて、その違いは入った瞬間に感じとれます。





パラーディオは最終的にはヴェロネーズの仕事には不満だったそうで、それもそのはず、バルバロ邸に来た貴族たちは皆ヴェロネーズの作品に驚嘆してたのだから。。。幾つかの部屋の片隅にはトロンプ・ロイユ(だまし絵)があちこちにあり、おもわず微笑んでしまいます。



2009/06/26

窓際の女



十九世紀ドイツ・ロマン主義の代表作家C・D・フリードリッヒはその劇的で神秘的な風景画で有名。作品はそんなに多くなく、フランスで見れる機会が少ないけど、彼の作品に出会う度に夢の中に吸い込まれていくようです。彼のその神秘的な作品の中で、人物を主題にしたものが何点かあるけど、そのほとんどが、人物は背中を向けています。この『窓辺の女性』も背を向けてますが、我々は彼女の目に映る景色を想像するしかありません。女性の後ろ姿の神秘というものは、彼が描く風景と同じくらい深いですね。。。  

窓際の女 1882年
油彩、キャンバス、44cm x 37cm
アルテ・ナショナルギャラリー、ベルリン

2009/06/25

沈黙(1963年)


女性描写に優れているイングマール・ベイルマン監督の映画のなかで、『沈黙』は最も彼が油に乗っていた時の作品です。難解な事で有名だけど、「難解」だと言われたのは、ただその頃主流だった表現方法と違っていただけで、今の時代だとそれほど難解だとは言えないと思う。。。なぜなら以後60年代はフランスの「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画を皮切りにありとあらゆる表現方法が実験され。次から次へと映画芸術の可能性を広げていったので観衆の目も自然と肥えてきてました。
ある30代後半の女性の孤独を描いており、演じるのはイングリット・チューリン、知的且つエロチックな女性を演じたら最高です。そしてポルノグラフィー以外で女性の自慰行為を撮った最初の作品としても有名です。
窓辺に立ち外を眺めるシーン、そして綺麗な光のなかで紙切れでそっと唇を撫でたあと、ベッドに横たわります。そして彼女の手が自然にパジャマの中に降りて行き、カメラは彼女の顔の表情にズームしながらフィニッシュ。綺麗なシーンです。最近の映画ではこのような繊細なエロチズムは見る事ないですね〜。
『沈黙』がキリスト教の国でどれだけスキャンダルを起こしたか想像がつきます。自国スウエーデンでは上映禁止にもなってます。今見ると映像的にはどうってことないのですが、ただ女性の自慰行為というシーンがスキャンダルだったらしいです。でも解放的になったいまでも、あれほど印象にあるシーンには出会いませんね〜。

ただ一つだけ5、6年前、ジェーン・カンピオン監督の『イン・ザ・カット』というサスペンス映画の中で清純派女優メグ・ライアンの自慰行為が美しく素敵だったのを覚えています。サスペンスの中、彼女は恐怖と同時に深い欲望にはまって行くのですが、女性監督ならではの深層心理描写って感じがしました。


シェルブールの雨傘 (1964年)


珍しいフランスのミュージカル映画。ジャック・デミー監督の作品で音楽はミッシェル・ルグランが担当しました。当時20歳のカトリーヌ・ドヌーヴに美貌に世界中が魅了されました。

2009/06/24

緋牡丹お竜





彼女が日本舞踊を舞う姿も美しいけれど、この頃に時代劇に替わり大衆映画になりつつあった「任侠物」での彼女の殺陣まわりは素晴らしい。

仁義を切る彼女の姿も迫力があります。今でこそアクション映画ブームで、空手や拳法をつかう俳優が沢山いるけれど。着物姿の彼女が演じるお竜の繊細さは真似が出来ないと思う。「緋牡丹のお竜」はシリーズ化され、その観客の動員力は凄かったらしい。まだ子供だった僕は、リアルタイムで映画はみれなかったけれど、映画館での予告編でとか、銭湯のポスター(古っ)を見て憧れてました。
彼女の、その「猫のような」完璧な身動きをフランスのカリスマ映画監督クリス・マルケルが絶賛している。
彼女が引退してから、日本のアクション映画のヒロインは梶芽衣子に代わっていき、『キル・ビル』のタランティーノ監督もこの頃の映画のファンであるのは有名な話。

先日、ドライブしながら、ふたりの友人と日本の女優の話をしていたら、二人とも藤純子をまったく知らないという。
今では「極道の妻」は知っていても、緋牡丹のお竜」を知らない。
まあ、当たり前の話だけど。あらためて自分が浦島太郎であることを痛感。(笑)



夢(1990年)




黒沢明監督の『夢』の一部です。若い日本の画家がゴッホを」訪ねて絵の中へ入り込んでいってしまうという話。寺尾聰がいい演技をしてますね。役では「私」という事になってるから監督自身を表してるのだと思うけど、彼自身ゴッホをすごく尊敬してたのが解ります。去年パリのプチ・パレ美術館で黒沢監督のスケッチ展があり、彼が準備のために描いた絵コンテが沢山展示されてましたが、その素晴らしい色彩に感心させられました。

黒沢監督のこの作品はヨーロッパでは評判よくありませんでした。世界のクロサワといえばやはり壮大な時代劇を期待していたようで、こういう実験映画のような作品にガクンと来たみたいです。エコロジー的なメッセージがちょっと重いという批評でしたが、今にして思えば重要なテーマです。翌年『八月のラプソディー』でも同じようなポリシーで一環してますが、派手ではないけど巨匠のメッセージが聞こえてくる晩年の作品群好きです。 






カラスのいる麦畑


カラスが麦畑から飛び立つ瞬間を描いた絵。ゴッホはこれを描いた時は何を思ったのだろうと考えさせられます。。。 何故ならこの絵を描いたあとに彼は自殺をはかります。拳銃で胸を撃つのですが、その後二日間ゴッホは生死をさまよいます。パリから駆けつけてきた弟のテオと部屋で二人きりで話し込みます。二人の会話の密度は彼らの書簡でもわかるのですが、この時の会話はどこにも記録がないため謎に包まれています。48時間の謎です。。。

カラスのいる麦畑、1980年
油彩、キャンバス、103cm x 50cm
ヴァン・ゴッホ美術館、アムステルダム


オヴェール・スュール・オワーズの教会

1890年5月、ゴッホがプロヴァンスを離れて、パリの郊外にある小さな村オヴェール・スュール・オワーズに引っ越してきます。この絵は6月に描かれました。そして一ヶ月後に彼は他界しますが、死ぬ前にここで制作された作品はどれも素晴らしいです。この絵はオルセー美術館にありますが、まぶしくそそり立つ教会が逆光にもかかわらず、その色彩があざやかで綺麗でいつも見入ってしまいます。

オヴェール・スュール・オワーズの教会、1890年
油彩、キャンバス、94cm x 74cm
オルセー美術館、パリ

2009/06/23

甘い生活(1960)





フェリーニはその豪華な脚色と色彩あふれる画面で有名だけど、初期の白黒で撮ったネオリアリズム(新写実主義)と言われた時代の作品も見逃せません。その中でも僕はこの作品が好きです。彼のネオ・レアリズム時代の最後の作品で、後にフェリーニ・スタイルを確立する出発点になったもの。
イタリア映画がよく使う「オムニバス形式」のような作りは、一見まとまりがないような印象があるけど、マルチェロ・マストロヤーニ演ずる主人公がそれぞれの違った話にでてきて繋がっていきます。
彼はゴシップ新聞の記者ですが、こういうテーマって時代を先取りしてますね。そうそう『パパラッチ』という言葉はフェリーニが最初に使ったというのは有名な話。

2009/06/20

七年目の浮気 (1955)







ノーコメント。。。 




聖ザカリア教会



サン・マルコ広場から程遠くないところに、聖ザカリア教会があります。路地をぬけると、小さな広場に出くわし、美しいルネッサンス様式のファッサードが迎えてくれます。教会の中にはジョヴァンニ・ベリーニの祭壇画があります。


ベリーニは既にこの頃はヴェニスで最も権威のある画家でそのスタイルも確立していたのですが、この絵はそれまでのスタイルを覆すような手法を使っています。その頃台頭してきたジョルジョーネやティッツィアーノたちの若い世代のスタイルに敏感に反応してる作品です。自分の権威に甘んじることなく、新しい世代への挑戦するという姿にベリーニの偉大さを感じます。


ジョヴァンニ・ベリーニ
聖人に囲まれる聖母子像、1505年
油彩、キャンバス、500cm x 235cm

2009/06/19

聖ウルスラの夢


ヴィットーレ・カルパッチョの「聖ウルスラの生涯」を描いた大作シリーズの中に、「聖ウルスラの夢」という一枚の不思議な絵があります。このシリーズの中では一番小さい絵です。
部屋の入り口に立つ天使が、赤いベッドに眠るウルスラの寝顔を見つめてるというだけのシーンですが、他の絵は伝説通りのストーリーが描かれているのに対し、この一枚だけは画家の想像したシーンだと思います。
それまでに美術史の中で「夢」を描いた作品は殆どないといっていいほどで、この時間が止まったような瞬間を描いたカルパッチョという画家のモダンさに驚かされます。そして部屋の扉はすべて開いているのが意味ありなような感じがしますね

ヴィットレ・カルパッチョ
聖ウルスラの夢、1495 - 1500
テンペラ、キャンバス、274cm x 267cm
アカデミア美術館、ヴェニス

2009/06/18

2009/06/15

Everyone says I love you (1996)







ヴェニスを舞台にした映画は沢山あるけど、ウディ・アレンの『世界中がアイ・ラヴ・ユー』もその一つ。興行的には、いま一つだったらしいんですが、内容的には、いい映画だと思う。ウディ・アレン演ずる主人公が娘の手をかりて、絶世の美女(ジュリア・ロバーツ)を落とすという話。二枚目でもない男がいかにして美女を誘惑していくか。。。その手段は映画でしかありえない話だけど、特に偶然を装った出会いで、サン・ロッコ教会でティントレットの天井画を見ながらの口説きのシーンとか、笑ってしまいます。同時にこの作品は三十年代のミュジカル映画、そして特にマックス・ブラザーズの映画へのオマージュでもあり、ところどころに歌が入り、皆、吹き替えなしで歌ってます。ジュリア・ロバーツもなかなかシンプルに上手く歌ってます。ウディ・アレンは俳優たちには契約するまでミュージカルだという事を伏せていたそうです。 






ヴェニスに死す (1971)

トーマス・マンの同名の小説をもとにした映画で、ルッキィノ・ヴィスコンティ監督の最後の作品。芸術において理性の大事さを主張する主人公の音楽家(原作では詩人)が、家族と一緒にリドの海岸に避暑にきていた美しい少年に出会い。その美貌の虜になって、身を滅ぼしていく姿を描いたもの。ダーク・ボガートの演技がすばらしく。テーマ音楽となるマーラーの第五交響曲もこの映画のために作曲されたと思わさせるほどで、ヴィスコンティはやはり凄い。。


2009/06/13

サント・アドレスのテラス



この作品をノルマンディーの避暑地サント・アドレスで描いたクロード・モネは当時27歳。15年程前にパリで開催された印象派展で初めてこの作品を見てすごく感動したを憶えています。それまでは画集でしか知らなかったので、実物を目の前にしてそのまぶしい陽の光と構図の斬新さに圧倒されました。彼は友人の画家たちに「これは僕の日本画だと」言っていたそうです。画面が、空、海、テラスの平行線で大胆に三つに分けられて、それを繋ぐのは二本の旗竿とテラス際に立つ男女の二人組。このような大胆な構図はそれまでの西洋絵画では考えられず、ほとんど抽象的な見方でもあるように思えます。水平線には帆船にかわり蒸気船が航海しはじめ、近代社会の幕開けを感じます。日本では明治維新の頃。
ただこの一見のどかなサント•アドレスの風景の裏には彼の苦闘も隠されてもいます。何故ならちょうどこの頃は画家としての彼の人生で一番苦しい時で、キャンバスを買う金もなく、食べる事さえ困難になり、友人の画家バジルに金の工面をたのんだり、既に描いたキャンバスを塗りつぶしたその上に絵を描く生活が続きました。そしてとうとうサント•アドレスの叔母の家ににやむ終えず転がり込むはめになるけど、そのためにはパリに妊娠した愛するカミーユを一人おいてこなければなりませんでした。家族は彼女との結婚に猛反対だったからです。制作を続けるためにやむなく彼は一人でやってくるのだけど、パリに愛するカミーユを一人残して、家族の慈悲に甘んじなければならない気持ちは複雑であったろうと思う。
後1876年にモネはル•サロンに落ちた仲間たちと『落選展』を開き、それが所謂『印象派絵画』の誕生と言われてますが、この絵はその10年も前にさかのぼる作品なんだと思うと、モネの偉大さを改めて思い知らされますね。
先日、十五年ぶりに訪ねた「モネの家」に飾られてある沢山の浮世絵版画のなかに気になる絵を一枚見つけました。それは葛飾北斎の『富嶽三十六景五百羅漢寺さざい堂』です。寺の高台から数人の男女が我々に背をむけて遠くにある富士山を眺めているシーンだけど、手すりと地平線が画面を三分割していて、中間にある水を表すグレーがきわめて大胆に見えます。
北斎のこのような自由奔放な構図にモネが学んだのは間違いないでしょうね。この絵を彼の家の一部屋で見つけ、これが直接「サント•アドレスのテラス」につながっていったのだなあと確信しながら思わず一人でにんやりしてしまいました。


クロード•モネ
サント•アドレスのテラス(1867年)
油彩、キャンバス、98cm x 130cm
メトロポリタン美術館(ニューヨーク)

トゥルヴィルの浜辺



ユジェーヌ・ブーダンはノルマンディーの港町オンフルール出身の画家、彼は海岸に海水浴を楽しむ人たちを好んで描いてます。彼の名はそれほど知られておらず。所謂、優秀な地方画家って感じがするけど、美術史上において結構大事な位置にあるアーチストかもしれない。何故なら、絵を描き始めた若き友人クロード•モネに「屋外写生」を教えたのが彼自身だったからです。
コローやミレー達はパリの郊外フォンテンブローの森にあるバルビゾン村に住み、印象派の「先駆者たち」として知られている。彼らは「屋外スケッチ」を実行していたけれど。ル•サロンのような「オフィシャルな」展覧会には、アトリエで制作された大作を出品し続け、その内容も「神話」とか、働く農民たちの「讃歌」であったりで、結局は「テーマ」を重要視し、彼らの屋外スケッチを発表する事はなかった。それに対しブーダンが描く海辺に戯れる人たちの日常の「何気ない瞬間」は、今ならばスナップ写真のようなもので、若いモネに深く影響を及ぼし、後に彼が限りなく追求した「移ろい行く瞬間」は間違いなくブーダンの教えによるものと言える。また晩年モネ自身がブーダンが彼に残した影響を熱く語っています。


ウジェヌ•ブーダン
トゥルヴィルの浜辺のウジェニー皇后(1863年)
油彩、キャンバス、34cm x 58cm
グラスゴー美術館