2010/03/27

悲しみの青春(1971年)

G・バサーニ原作Il giardino dei Finzi Contini 「フィンツィ・コンティーニの庭」をイタリア映画の巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督が映画化したものです。殆ど語られる事がなかった戦時中イタリアでのユダヤ人迫害をテーマにした貴重な作品です。

イザベラ・デステ(1474−1539)

ルーブル美術館所蔵のこのデッサンはレオナルド・ダヴィンチがイザベル・デ・エステをモデルにして描いたものです。『モナ・リザ』はジョコンダ夫人ではなくイザベル・デ・エステであろうと唱える専門家も数多くいます。たしかにポーズや手の組み方とかおでこのカーブとか共通するものがありますね。。。




2010/03/13

君に逢えてなかったら。。。

Que serais-je sans toi
ジャン・フェラが20世紀のフランスの偉大な詩人ルイ・アラゴンの詩に曲をつけて唄ったものです。愛を唄った最も美しいシャンソンの一つと言われている曲です。
はじめて僕に「シャンソン」というポピュラーな芸術がこのような高貴な詩情を表現できることを、知らしめてくれた歌でした。以後長い間、この曲は僕のフランス語の先生のようなものでした。。。今聞いても鳥肌がたちます。







2010/03/11

いつものように。。。Comme d'habitude


今日は朝からラジオで何度も、クロード・フランソワの歌『いつものように』Comme d'habitudeが流れてました。彼の死後30年以上になるというのに、いまだ彼のファンは沢山いて、ラジオ・テレビでの彼の特集番組はよく企画されます。僕は子供の頃に彼が日本語で歌った『ドナ・ドナ・ドーナ』を口ずさみながらた学校の帰り道を歩いた記憶が鮮明に残ってます。。。


『いつものように/Comme d'habitude』はジャック・レヴォーの曲にクロード・フランソワ自身の案で作詞したものです。
そしてデビューして間もなかったダヴィッド・ボウイが最初の英訳を手がけて出したものの、ボウイ自身が発言してるように、あまりいい訳とは言えなかったそうです。
そしてポール・アンカが、この歌の英語訳の権利を買い『マイウエイ』が生まれます。そして、それをアンカは晩年のフランク・シナトラに提供し、世界中で大ヒットします。
晩年に人生を振り返りながら、自分が歩んだ道に悔いはないという内容です。名曲と言われ日本でも沢山の大物歌手が歌ってましたよね。
でも原作はまったく別の曲なんです。