この作品をノルマンディーの避暑地サント・アドレスで描いたクロード・モネは当時27歳。15年程前にパリで開催された印象派展で初めてこの作品を見てすごく感動したを憶えています。それまでは画集でしか知らなかったので、実物を目の前にしてそのまぶしい陽の光と構図の斬新さに圧倒されました。彼は友人の画家たちに「これは僕の日本画だと」言っていたそうです。画面が、空、海、テラスの平行線で大胆に三つに分けられて、それを繋ぐのは二本の旗竿とテラス際に立つ男女の二人組。このような大胆な構図はそれまでの西洋絵画では考えられず、ほとんど抽象的な見方でもあるように思えます。水平線には帆船にかわり蒸気船が航海しはじめ、近代社会の幕開けを感じます。日本では明治維新の頃。
ただこの一見のどかなサント•アドレスの風景の裏には彼の苦闘も隠されてもいます。何故ならちょうどこの頃は画家としての彼の人生で一番苦しい時で、キャンバスを買う金もなく、食べる事さえ困難になり、友人の画家バジルに金の工面をたのんだり、既に描いたキャンバスを塗りつぶしたその上に絵を描く生活が続きました。そしてとうとうサント•アドレスの叔母の家ににやむ終えず転がり込むはめになるけど、そのためにはパリに妊娠した愛するカミーユを一人おいてこなければなりませんでした。家族は彼女との結婚に猛反対だったからです。制作を続けるためにやむなく彼は一人でやってくるのだけど、パリに愛するカミーユを一人残して、家族の慈悲に甘んじなければならない気持ちは複雑であったろうと思う。
後1876年にモネはル•サロンに落ちた仲間たちと『落選展』を開き、それが所謂『印象派絵画』の誕生と言われてますが、この絵はその10年も前にさかのぼる作品なんだと思うと、モネの偉大さを改めて思い知らされますね。
先日、十五年ぶりに訪ねた「モネの家」に飾られてある沢山の浮世絵版画のなかに気になる絵を一枚見つけました。それは葛飾北斎の『富嶽三十六景五百羅漢寺さざい堂』です。寺の高台から数人の男女が我々に背をむけて遠くにある富士山を眺めているシーンだけど、手すりと地平線が画面を三分割していて、中間にある水を表すグレーがきわめて大胆に見えます。
北斎のこのような自由奔放な構図にモネが学んだのは間違いないでしょうね。この絵を彼の家の一部屋で見つけ、これが直接「サント•アドレスのテラス」につながっていったのだなあと確信しながら思わず一人でにんやりしてしまいました。☞
クロード•モネ
サント•アドレスのテラス(1867年)
油彩、キャンバス、98cm x 130cm
メトロポリタン美術館(ニューヨーク)
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