2009/07/23

太陽はひとりぼっち(1962年)


ミケランジェロ・アントニオーニ監督の作品で『情事』そして『夜』とならぶ初期三部作の一つです。 原題は『L'Eclisse』で「日食」という意味。そこにどういう意味があるのか本当のところはわからないけど、観ると何故かこの題名が納得させられてしまう。ある女性の、言葉には表すことのできない闇の部分を垣間みる事ができるからだろうか。。。

しょっぱなから長い間連れ立った彼と別れる話からはじまる。モニカ・ヴィッティが演じるヴィットリアという女性が主人公。株のことしか頭にない彼女の母親とは話ができない。。。彼女は内面的豊かさを求める正反対の性格なのだが、ある日株市場で働くピエーロと出会うが、全く世界観が違う二人のちぐはぐな、愛とも恋ともいえない出会いを描く。。。ピエーロ役は、あのアラン・ドロン。目が覚める美しさで、世界中のファンを魅了したのも納得する。
「物質至上主義」の世界に納得できないヴィットリアの、何かを求めて都会の街をさまよい歩く姿を撮るカメラワークが見事だ。

闇夜の中、沢山ならぶ旗竿が、風のためロープがあたり楽器のように不思議な音を響かせ、その前にたたずむ彼女は限りなく美しい。。。
この映画はモニカ・ヴィッティが最も美しい作品かもしれない。 



2009/07/20

月世界旅行 1902年



ジョルジュ・メリエスの最も有名な作品です。当時の作家、ジュル・ヴェルヌとウェルズの小説をもとにして作られたものです。リュミール兄弟が初めて映画を発明し公開してから6年後の作品だけど、映画史上ある意味では重要な作品だとおもいます。何故ならおそらく彼が最初の『特撮』をした監督だからです。彼が円谷プロダクションやジョージュ・ルーカスの先駆者といえるでしょうね。
つい最近パリのシネマテック(国立映画美術館)で彼の展覧会があり、そこで彼の撮影スタジオの模型や当時の現場の写真や準備のデッサンなどが沢山ありましたが、あらためて『虚構の中に映画の世界がある』ことを思い知らされました。

ちなみに今では公然の秘密のようになってますが、アポロ11号のときも、スタジオでの特撮があったって話がありますが。。。もし衛生中継を失敗したときのために撮ってあったのかもしれません。そしてその時の監督はスタンレー・キューブリックだとか!
まあ米国なら、やりかねないですね。とてつもない予算を使って映像がなかったら何の意味身もない事を知ってるから。そして人々は現実よりも映像を信じるということも。。。



2009/07/16

ブレード・ランナー (1982年)


SFの名作フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』を原作とする、SF映画の最高傑作の一つといわれる作品です。リドリー・スコット監督の作品の中でも最も完成度が高い作品とされています。反乱する『人造人間(レプリカント)』を『ブレード・ランナー』(ハリソン・フォード)が処刑して行くという話。その中で一人の女性に次第に惹かれて行くのだけど、彼女も実はレプリカント。。。
公開された当時、僕は何度か映画館に足を運んだのものでした。ちょうど同じ時期に封切りされた『E.T.』の記録的な成功の影になってしまい興行的には散々な結果でした。その後一部のSFファンのなかで「カルト・ムービー」的存在になってました。フランスの建築家ジャン・ヌーヴェルも昔は彼の建築理念を語るのに、この映画を何度か引き合いに出してました。
後にビデオ・DVDが普及しだすとこの映画はで莫大な人気を得たらしいのですが、でもこれだけは大画面でみないと淋しいかも。。。 

2009/07/12

Time Tunnel ( 1966年)



『ポセイドン・アドベンチャー』や『タワーリング・インフェルノ』などの冒険映画で有名なアーウィン・アレン監督のテレビ時代の作品。この過去へ、未来へと渡り歩けるトンネルって凄いな〜って、子供の頃毎週みてましたね。。。 

2009/07/10

上を向いてあるこう



永六輔 作詞、中村八大 作曲   

2009/07/06

我々は何処から来たか?我々は何者か?我々は何処へ行くのか?



この絵を描いたゴーギャンは精神的にも最悪の時でした。娘アリンヌの死を知りますますどん底に落ち込んで行き、描き終わったあとに彼は自殺未遂をしている。そのためか彼の作品全体のなかでも特別な位置にあり、最も精神性を追求した作品です。彼はこの作品は自分の「集大成」になるだろうと友人に宛てた手紙に書いている。
パリのグラン・パレでの大回顧展で彼のレリーフ彫刻と一緒に見る事ができたんですが、確かにその大きさに驚かされました。色彩にあふれた明るい絵画が多い中で、この作品は暗い色調で画かれていて、ゴーギャンの心境がひしひしと伝わってくる。。。


D'où venons nous? Que sommes nous? Où allons nous? 
油彩 キャンバス 1989年
ボストン美術館、ボストン

2009/07/05

Cabin In the Sky (1943年)




ミュージカル映画の偉大な監督ヴィンチェント・ミネリのデビュー作。
この中で興味ある一場面があります。それは黒人タップ・ダンサー、ビリー・ベイリーがジャズを踊るシーンで、「バック・スライド」というステップを見せます。これが「ムーン・ウォーク」の名前でマイケル・ジャクソンが世界的に有名にしたステップのオリジナルといわれてます。
そして。。。


マイケル・ジャクソンが唯一、出版を認めた、ルーマニアはブカレストでのコンサートの録画(1992年)

2009/07/04

欲望 (BLOW UP) 1966年







最も好きな映画のひとつ、イタリアの巨匠ミケランジェロ・アントニオーニ監督のはじめてイタリアの外で撮った作品『欲望』のトップ・シーン。売れっ子ファッション写真家を上手く描いている。ただ僕はこの邦題の「欲望」はあまり気に入っていない。「BLOW UP」とは「拡大」とか「引き伸ばし」という意味の写真用語で、この話で最も重要なキーワード。
主人公トーマスがふと何の気なしにとった風景写真の隅っこに異様な形を発見し、それを究明するために、彼はどんどんその部分を拡大(BLOW UP)していき、遂にそれが死体であるとわかり、知らないうちに殺人現場にいたのである。彼がまったく気づかなくてもカメラのレンズはとらえていた。そうわかった時、彼は謎の人物に追われることになる。。。
この場面には一言の「せりふ」も「音楽」もない、まったく無言のシーンなので、ここでは観客も目で見るという事だけに集中させられます。さしずめハリウッド映画ならサスペンスを盛り上げる音楽が流れるはずだけど、アントニオーニはその妥協をまったくしていない。やはり並の監督ではない。。。



The last shitting



写真家バート・スターンがヴォーグ誌のため撮ったマリリン・モンローの写真集。そして彼女の最後の写真です。彼女が36才の時で、僕はこれが彼女の最も美しい写真集だと思う。
62年の6月、彼女はNYのあるホテルのスイート・ルームに予定の時刻より4時間おくれてやってきたそうです。しかしその後、彼女は3日間にわたり合計12時間に渡りポーズをとり、その間に撮られた写真の数は何と2500。驚異的な数字です。そして6週間後に彼女は世を去るのだけど。果たしてこの時点で彼女は予感してたのだろうかと気になってしまう。



その20年後にスターンが出したこの本には沢山の「ベタ焼き」ものせられていて、僕はこのベタやきを最初に見た時、その3日間にわたる彼らの作業が刻々と伝わってくるのに感激しました。そしてその中にはモンロー自身が「ダメだし」した写真もX印をつけたまま出されていて、でも「いったいどうして彼女はこれをダメとしたのだろう?」と考えてしまうものばかりです。



スターンはほとんど中判6x6カメラを使っており、それらの写真はスタジオ撮影のように照明が綺麗。でも何枚かのベタ焼きは、小型カメラを使っている。その中では彼女との距離もぐっと短くなり、彼女を跨いで手持ちで撮ったもの。






まるでアントニオーニの名画『欲望』の中の一シーンのようです。おそらくアントニオーニはこのヴォーグ誌をみてたのかもしれない。。。 






2009/07/02

フェリーニのローマ 1972年

ローマをこよなく愛するフェリーニの代表作。
最後のシーンに暴走族が夜中にライト・アップされたローマの街中を轟音をたてて駆け巡るこのシーンには度肝を抜かれます。

とたんに観客の視点が変わり、あたかもバイクの後ろの座席にしがみついてるような気持ちになります。

さすらい 1976年


この映画はロード・ムービー最高傑作のひとつだと思う。ヴェンダースの作品のなかで一番好きかも知れない。大型トラックで小さな街や村で映画を映してまわる撮影技師ブルーノと妻に捨てられライン河に浸水自殺をはかる男ロベルツのふたりの出会いから、珍道中がはじまります。旅の途中ふたりはBMWのバイクとサイドカーに乗ってブルーノが子供のころ住んだ家まで行くのだけど、カーブにゆだねて彼らの体が夢遊病者のように右へ左へと揺れる映像がなんとも素晴らしい。。。

勿論『イージー・ライダー』へのオマージュであるのはすぐわかるのですが。彼は翌年の作品『アメリカの友人』で憧れのデニス・ホッパーを出演させているくらいだし。でも同時にこれは彼が生きてる「時代」へ投げかけられた作品です。
東ドイツとの国境にぶつかり道路が行き詰まりになった時に、この二人の旅は終わります。。。

イージ・ライダー 1969年



デニス・ホッパーが監督・脚本で、プロデューサーがピーター・フォンダ。そして彼ら二人が自演し撮影しながら旅をして行く(或は旅をしながら撮影をして行く)という、所謂『ロード・ムービー』の始まりの作品と言えるかも知れない。この映画は次の世代に多大な影響を及ぼします。ドイツの監督ヴェンダースもその影響を受けた一人で後に彼の作品『アメリカの友人』にホッパーを出演させている。

ウイスキーの瓶をもってジャック・ニコルソンが登場する。
この短いシーンはそのインパクトの凄さに忘れる事のできない一つです。
ニコルソン、凄い俳優です。



暴れ者 The Wilde One 1953年





暴走族という、それまでの映画にはなかったワイルドな役を演じて大スターの名を不動のものにしたけれど、マーロン・ブランドは実生活でもかなり難しい人物だった。有名な話では『暴れ者』で脚光を浴びた彼を『エデンの東』の主役に使おうとしたエリア・カザン監督のオファーを蹴った事。そして彼のかわりにジェームス・ディーンが選ばれたのだけど、マーロン・ブランドのその妥協しない性格がなければジェームス・ディーンは存在しなかったのでしょうね。そんな性格のためか次第に仕事が少なくなり、72年ベルトルッチ監督の作品『ラスト・タンゴ・イン・パリ』にて奇跡的にカムバックするまで、映画界から忘れ去られてしまいます。。。


親愛なる日記 1994年







数多い名監督、名画を生んだかつてのイタリア映画、残念ながら今日では消滅してしまったも同然のような状態。テレビ界の王様ベルルスコーニが首相になるイタリアではテレビの影響が多大で80年代からとたんに映画芸術は廃れてしまった。その中で孤軍奮闘するのがナンニ・モレッテイ。
彼の自分の日常と映画を語った『親愛なる日記』は、イタリア映画の現実や彼の病気とか、かなり深刻なテーマが根底を流れているのにユーモアにみちて面白い。
映画の現状に失望し、今度は『フラッシュ・ダンス』のような踊って歌って楽しいコメディー・ミュージカル映画を夢見ながら「ローマの休日」よろしく、ヴェスパーに乗ってローマの街をさすらうのだけど、乗りながらRAI(アラブのポップ音楽)の王様シェブ・ハーレッドの歌にあわせて踊るシーンは笑わせる。そして夢見る『フラッシュ・ダンス』のヒロイン、ジェニファー・ビールスに出会う!スクーターから飛び降りて彼女に話しかけるのですが、誰が見てもちょっと狂った男にしか見えない。。。何ともおかしい一場面。素顔のジェニファー・ビールスがじつに美しい!


そしてクライマックスは彼の尊敬する、鬼才パゾリーニ監督が殺されて死んだ場所まで行く場面。素晴らしい「ワンシーン・ワンカット」。カメラが後ろから追っかけているだけの単純なシーンだけど、音楽がキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』。
天才的ジャズ・ピアニストの今では神話化されたケルンでの即興演奏の録音で、ここではあたかもこの映像のために演奏された音楽のような感じです。マーラーの交響曲が「ヴェニスに死す」のために作曲されたような錯覚に陥るように。。。
ヴィスコンティの多大な費用を掛ける作品とモレッティのインディーな作品とを比べるのは意味がないかもしれないけど、安上がりな製作にもかかわらず、こういう忘れられない感動的シーンを作りだせる彼は、やはりイタリア映画最後の巨匠かも。。。


(ステレオで聴ければ最高)