時は1925年、精神病院で治療を受けている発明家カールはいつも病棟でグラモフォンを回してシューベルトを聞いている。そんな彼の前に「道化師」が現れる。名前はリグモール(Rig-Mor)。
この名前はRigor mortis(死後硬直)にモジられて「死」を表しています。
リグモールは女性で、彼は彼女に襲いかかる、「私の尻にぶち込んで!」とさけぶ彼女に従い後ろから激しく突き上げるカール。。。
「死」と戯れた翌朝、カールは見舞いにきたフィアンセ、ポリーヌに「ある構想」を話します。
それは無声映画の画面の後ろから生のピアノ伴奏とスピーカーでせりふを入れるという、初めての「トーキー映画」の試みでした。同じ病棟に入院していた金持ちの妻をもつ教授オスヴァルトと組んで劇団をつくり巡業にでます。シナリオは死を目前にしたシューベルトの話です。11人の観客を前にして映画は始まりますが途中でヒューズが持たず漏電して火が出て停電になってしまいます。
そして役者たちは画面なしでロウソクの光で演じ続けます。「映画」に変わり「演劇」が最後のせりふを言う事なります。
これは80年代変わりつつある「映画」というものに限界を感じ、1983年に『ファニーとアレキサンデル』を最後に映画から去り、それ以後は演劇だけに専念したベルイマンの思想でもあるんでしょうね。
この作品はテレビのために製作したもので、彼は映画館で上映することを禁じてました。果たして彼の思いに背いて映画館の大画面で見ていいものかどうか疑問はのこりますが、「幻」だったこの作品が見れて喜ぶファンは沢山いると思います。それに今のテレビではもうこういう作品をながせる枠が皆無になってしまってるし、もう町の小さな映画館でしか見れないですね。。。
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