(galerie-creation.com)
1503年にレオナルド・ダ・ヴィンチはフィレンツェのヴェッキオ宮殿の大会議室を壁面を飾る壁画を依頼されます。(friendsofart.net)
レオナルドは一年間の準備作業をして作業を始めるものの、作業の途中でミラノに呼ばれ1506年の5月にフィレンツェを離れてしまいます。(friendsofart.net)
結局未完成のままに終わってしまいます。(allpaintings.org)
残っているのはその準備中のエスキースだけです。2003年にルーブル美術館で開催されたダ・ヴィンチのデッサン展でこれらの素描を同時に見ることができてラッキーでした。(en.wikipedia.org)
1549年の文献によると、まだこの壁画を見る事が出来たそうで、画家達が世界中から見に来たそうです。(fr.wikipedia.org)
模写されたデッサンも幾つかのこっています。ルーブル所蔵のこのデッサンにはルーベンスの手も加わってるそうです。そして1563年コジモ1世がヴァザーリーにこの会議室の大改装を託し、その時『アンギアリの戦い』もヴァザーリーの壁画の下に埋もれてしまいます。
しかしヴァザーリーの最も崇拝する芸術家であるダ・ヴィンチの壁画を、コジモ1世の命とはいえ自分の絵で潰してしまう事はしなかっただろうともいわれ、彼は二重壁を作りそこに自分の壁画を描いたという見解もあります。
何故ならヴァザーリーはもう一人の巨匠マサッチョの壁画『三位一体』も同じように保護してました。だから『アンギアリの戦い』も壁のむこう側に保存されてるのだろうという見解です。。。
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