2009/11/07

マイノリティーの声



ちょうど10年前、1999年のヴェネチア・ビエンナーレの総合コミッショナーはスイス人キュレーターのH・ゼーマン氏だった。彼はまだ無名な作家を沢山集めて、その頃現代美術市場の単なるプロモーション的立場になってしまっていた『ビエンナーレ』を一掃してしまった。そしてこの時は20人近い中国人アーチストが選ばれて話題を呼び、その殆どが国際的舞台では名を知られていない人たちばかりでした。



その中でツァイ・グオチャン(蔡国强 Cai Guo-Qiang)は金獅子賞を獲得した。以来彼は国際的舞台では第一線にいる作家の一人です。(『金獅子賞』もかなり国家が動いたような感もないではないけど。)そして先の北京オリンピックの開会式のヴィジュアル・ディレクターを務めた。



彼の国家的援護を受ける立場でのアートを遠からず批判するのは同じく現在では国際的作家であるアイ・ウェイウェイ(艾未未 Ai Weiwei)だが、この時のビエンナーレで発表された「月蝕」の写真を使った詩的なインスタレーションも新鮮だった。後に彼はスイスの建築家ヘルツォーク&ド・ムーロンと協力し北京オリピックスタジアムの鳥の巣をデザインしている。
いづれにしろ現代の美術市場というものは超資本主義の世界。ゼーマン氏のようなキュレーターが市場を一新したとしても美術界は所詮、世界の金の動きに反映するしかない。。。 無名だった作家たちの作品もほんの数年でオークションに出るようになってしまう。



先の二人のように華やかな活躍ではないが、もっとも僕が感動したもののひとつは上海出身のアーチスト、シェン・ゼン(陳箴 Chen Zhen)の作品だった。彼のインスタレーションは革を張った巨大な椅子の形をした太鼓。観客は自由に革を叩くことができた。ミュージシャンたちによるパーフォーマンスもあった、中でもチベットの坊さんたちによる演奏は凄かった。オリンピック開催も北京に決まり、これから世界の注目になりつつあった中国の影にあるチベット民族の声を響かせたのである。彼は翌年2000年に不治の病 で45歳の若さで他界するが、彼の作品が残したものは大きいと思う。

この時のビエンナーレでは中国人作家以外にも無名の作家の作品が沢山あった。中でもイラン女性アーチスト、シリン・ネシャット Shirin Neshatの作品は印象的だった。題名は『TURBULENT』で「渦巻き」とでも訳せるのか。二枚の画面が向かい合うインスタレーション。一つは男性ヴォーカルが歌う画面で、向かうは黒いヴェールを被った女性ヴォーカルでカメラがぐるぐる彼女の廻りをまわる。そのヴォイス・パフォーマンスには鳥肌が立ったのを憶えている。美しいと思いこんでる男たちの歌声が急に平凡で保守的に見えてくる。。。ヴェールを被らせられたイスラム女性のパワーだ。。。







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